1998年にサービスが開始されたMMORPG「リネージュ」の初期開発スタッフであるチェ・ユンホ氏がゲームメディアのインタビューで、リネージュの開発裏話を語っているので一部を抜粋して紹介する。

- QNCSOFTに入社してから1年も経たずに『リネージュ』が正式リリースされましたよね?(1998年9月1日)
- A
最初はこんなに早くゲームをリリースしていいものかと半信半疑でした。
というのも、私はそれまでパッケージゲームを作っていたので、未完成のゲームをリリースするなんて想像もできなかったんです。しかし、これを数年後じゃなくて「数か月後に出そう」みたいな雰囲気だったので、正直びっくりしました。
ただ、「リリースできる」と言える根拠を聞いてみると、それが妙に説得力があったんです。
「どうせオンラインゲームには終わりがない」「継続的にアップデートしていくんだから、いつ発売しても同じだ」と言われて、「なるほど、そういうものか」と納得させられたんです。
当初は「この完成度でどうやってリリースするんだよ」とも思いましたが、強くは反対しませんでした。「オンラインゲームだからパッケージ時代に苦しんだ違法アップロードの問題はなくなるだろう」くらいに考えていたと思います。
それに当時は『オンラインゲーム』を初めて世に出すような状況だったので、何もわからないまま公開したような感じでした。無料だったベータテストの時は人が結構集まっても、課金が始まり、正式サービスになるとユーザーが無条件にいなくなってしまうというのが常識でした。ローンチの時点では、誰もがそう予想しましたが、ただ一人だけは違いました。ところがその人の予想通り、発売するとすぐにユーザーが増えたんです。その一人はNCSOFTでとても重要な人物でした。
- Qその人って誰ですか?
- A
リリースしたらユーザーが増えると社内でただ一人予測していたのは、当時主任だったペ・ジェヒョン副社長です。そして、チョン・ドンジン代理(※元Blizzard Korea社長)がリリース後にPCバン(韓国のネットカフェ)営業を切り開いたことで、その予測が的中しました。
1998年、つまりIMF経済危機の時代ですよ。失業者が溢れていた時期だったので、暇を持て余していた人々がみんなPCバンに集まっていました。お金を払って長時間いられる場所が他になかったんです。学生街を中心にPCバンができていきましたが、不思議とそこには社会人と大学生が混ざっていたんです。
当時、そのトレンドを唯一読み取っていたのが、チョン・ドンジン代理です。社内の事業チームは3人しかおらず、彼はその中でも一番下っ端だったと思います。しかし、毎日PCバンを調査して回って、そこに可能性を見出したんです。
彼が、それまでなかったPCバン営業モデルを開拓したんです。それが、後の『リネージュ』や『Aion』の主なビジネスモデルになりました。
彼はもっと高く評価されるべき人物だと思っています。誰もPCバンに注目していなかった時代に、彼だけがビジネスのセンスを発揮してB2Bモデルを見出したんです。当時は、ゲーム業界でB2Bという概念がまだ明確に存在していませんでした。しかし、彼は一貫してMMORPGのPCバンビジネスモデルを切り拓いていったんです。
- Q最初期のリネージュに関する『伝説』がよく語られますが、印象に残っているエピソードはありますか?
- A
開発チームのセクションから少し離れた、小さな部屋に『リネージュ』のサーバーが置かれていました。でもそのサーバーがしょっちゅう落ちていたんです。1日に1回、2回は落ちてました。
Windows NTに移植してからまだ間もない頃で、ソン室長がWindowsサーバーに慣れていない時期でした。サーバーが落ちるとその都度とりあえず再起動していました。
プレイヤーから「ログインできない!」といった書き込みが公式サイトの掲示板に投稿されたり、クライアントがフリーズしたら、手動でサーバーをオン・オフしていたんです。当時は「サーバー落ちたんだけど!」という電話が会社にたくさんかかってきていました。
そのうち、サーバーが落ちるとPCスピーカーから「ピーピーピー」と警告音が鳴るように設定して、誰でも再起動できるようにサーバー再起動のやり方を社内で共有していたんです。
開発初期はまだデータベースが接続されていませんでした。セキュリティ上の問題はあったものの、テストはすぐに実施できました。ゲームサーバーが稼働中でも、数値を書き換えて、武器の性能を即座に修正してテストしたりしてました。
初期のユーザーたちは、今では考えられないくらい、無茶苦茶なことをする人が多かったです。今のプレイヤーの多くは国別にサーバーが分かれた後から始めた人たちですけど、初期は世界中のプレイヤーが1台のサーバーに集まっていたんです。
海外ユーザーも結構いて、割合で言えば7:3くらいでした。その3割の外国人プレイヤーのうち、半分が英語圏、もう半分が非英語圏でした。
ところが、外国人の中でも遊び方がまったく違ったんです。たとえば北米のユーザーは、RPGジャンルに対するプレイスタイルがちゃんと確立されていて、狩りに出たり、クエストこなしたり、アイテムを集めたりと、ある程度慣れた状態でプレイしていたんです。
一方で、韓国のプレイヤーはカオスそのものでした。人と出会えばいきなりナイフで斬りかかり、モンスターを見たらとにかく殴り倒す。「おっ、外国人だ!」と気づいたら、そのまま追いかけて捕まえたり(笑)
未開拓の時代であり、同時にロマンの時代でもあったんですが、日本人のプレイヤーたちはいつも村に入ると、あのリンゴの木の下に集まっていたんですよ。当時のリネージュでは日本語が入力できなかったので、アルファベットでチャットしていました。ある日気になって「なぜ君たちはチャットばかりしてるの? 集まってないで狩りもしようよ、フィールドを見て回ったら?」と声をかけたら、「外に出たらPKされる」って言うんですよ。勝てないって。当時はGMがいた時代でもなければ、日本専用サーバーがあったわけでもなかったんです。だから私が彼らを連れて一緒に狩りに出かけたこともありました。

- Q誰かがモンスターに変身して、モンスターのような動きで近づいてきて、一撃で殺す・・・というようなこともあったそうですね?
- A
モーションのフレーム数が少ないと有利だったんですよ。攻撃速度や移動速度に関係していたので。
ある日、プレイヤーたちが「PK村」があるって教えてくれたんです。「おかしいな?PK村なんて作った覚えがないんだけど?」と思っていたら、後になってわかったのですが、それは便宜上の呼び名で、マップのどこかの空き地にプレイヤーが集まってPvPをしていた場所だったんです。最初の村から少し離れた場所で、彼らが勝手に「PK村」と呼んでいたんです。
- Q衝突判定(キャラクターが他のキャラクターをすり抜けられない仕様)に関するエピソードはありますか?
- A
これはおそらくリリース後の話だったと思うのですが、初心者エリアが必要だという話が出てきて、プレイヤーをある程度分散させる必要があるという認識のもと、訓練場を作ったんです。初期の頃は、様々な問題が起きるたびにそれを解決しながら、次のアップデートに反映していくような形でゲームを運営していました。
今でも『リネージュ』の大きな個性の一つが衝突判定ですよね。キャラクター同士がすり抜けできない仕様。これは不便でもあるんですが、逆に言えば独自のゲーム性を生み出す、いわば『諸刃の剣』です。
初期にも問題になったのが、マップを綺麗に作ると「通せんぼ」の問題が出るってことです。訓練場へ向かう道がとてもきれいな小道だったんですが、小道って基本的に狭いじゃないですか。
そこに変なプレイヤーが現れて、道を塞いで通行料を取り始めたんです(笑)不満の声が広がって、「道を広げるべきか、それとも見た目がいいからこのままにするべきか」と、みんなで議論した記憶があります。
- Qそういう話を聞いていると、ロマンと野蛮さが入り混じった時代だったように思えますね
- A
「話せる島」の船着き場での出来事だったのですが、あの島には船着き場はあるけど船がないんですよ(笑)
なのに、ずっと立ちっぱなしのプレイヤーがいて、「何してるんですか?」と聞いたら、「船を待っている」って返してきたんですよ。あまりに面白くて、現実の私は大笑いしてしまいました。だって、私はまだ船なんて作っていなかったのに、なぜ船が来るなんて思ったの?って。それくらい、人々が『リネージュ』の世界にどっぷりと没入していたんだと思います。ゲーム内で結婚式をしたり、その当時に起きた様々な社会現象や出来事がありました。リネージュの世界はプレイヤーにとってのもう1人の自分が暮らしている世界で、自分自身がその世界に完全に溶け込んでいるという感覚で、想像力を最大限に発揮して、その世界の中で生きていたんです。
今のオンラインゲームと比べたら、システムもリソースも圧倒的に足りなかったですが、それを逆に遊び道具にしてたんです。
地面に変身アイテムやお金などを並べて、飾りつけをしてスクリーンショットを撮ったり、ナイトたちが剣を持って整列しているところを、女エルフと男ナイトが手をつないで歩いて結婚式を演出したり、長老に変身して司会進行をするとか、「何だこれは!?」思うような光景ばかりでした。
ですが、それらは全部ユーザーたちの想像力から生まれたものなんです。当然ながら、そういったユーザーのアイデアが、次のアップデートやコンテンツに反映されることになるんです。
「『リネージュ』は『ディアブロ』のパクリだ」と言われることが多いんですが、実際には『ウルティマ』や『NetHack』を多く参考にしていました。今思えば、私たちはウルティマみたいなゲームを作りたいと思いながらも、戦闘システムしか作れなかったんです。
でもその戦闘システムが非常に好評だったし、他の要素を作る暇すらないほど戦闘中心のゲームになってしまいました。それがそのまま『リネージュ』の個性になってしまったんです。
でも後になって、Destination Games(※ウルティマの作者・ギャリオット氏らが設立、後にNCソフトが買収)の人たちとミーティングしたときに、彼らはこんな話をしたんです。
“ウルティマシリーズでやれることは全部やってきたけど、結局みんな戦闘ばっかりするんだよね。だったら最初から戦闘中心にして、システムはシンプルで運営しやすい方がよかったんじゃないか”・・・と。

- Q『リネージュ』最初のダンジョンで、スモークテスト時にがっかりしたことがあったとか?
- A
私たちが作った初のダンジョンは本当にワクワクしました。「これは面白い」と思えるまでしっかりテストを重ねて、満を持して公開したんですが・・・・・・思いっきり叩かれました。
地獄のような設計作業を経てダンジョンを作ったんです。色々なトラップも仕込んで、協力プレイを促すギミックなんかも作ったんですが、プレイヤーたちが私たちの想定しなかった方法でトラップを突破していくのを見て、衝撃を受けました。
こんな仕掛けだったんです。2人いないと開かない扉があって、1人がスイッチの踏み板に乗り、もう1人が扉の中に入ってレバーを引くと、踏み板から離れても扉は開いたままになる、というギミックです。
自然にそういった構造にして、私たちはフェンスや岩なんかに化けて、プレイヤーの行動をこっそり見ていたんです。すると、1人のプレイヤーがやってきて、1秒も迷わずにそのギミックを突破したんですよ。
なんと、アデナ金貨を1枚取り出して踏み板の上に置いて、そのまま悠々と中へ。本当に衝撃でしたね。「このゲームのアイテムには“重さ”の概念があったんだよな・・・」って(笑)
そんな形であっけなくトラップは壊されてしまったんです。扉の先には強力なモンスターが出てくるので、ダンジョン自体はクリアできなかったんですけど、私たちが自信満々に作ったトラップが次々と粉砕されていくのを見て、辛くもあり、同時に楽しくもありました。そんなこともあって、「ゲームはユーザーと一緒に育てていくもの」という感覚が強くなっていきました。
ある日、ダンジョンを作っていたときの話ですが、アイデアが尽きかけていた頃、あるフロアをまるごと「NCロゴ」の形にしてしまおうと決めたんです。ちょっとした小ネタのつもりで入れたんですが、しばらく誰にも気づかれなかったんです。
それがある日、ダンジョンの攻略記事が出て、ミニマップのスクリーンショットを繋げてみたら、ロゴの形が現れて発見されたんです。それが分かった時には、レベルデザイナーとしてのちょっとした喜びを感じました。
そして時が経ち、開発チームのヒョンジンが「100階建てのダンジョン作ってきた!」と言って持ってきたんですよ。私は思わず怒鳴りました。「100階なんてどうやって作るんだよ」って。ですが最終的には、企画意図通りにちゃんと作れました。
引用元:THIS IS GAME
コメント
今では札束ゲーの代名詞に
良い記事。全盛期は貧乏過ぎてネトゲ触れなかったのよね。
UO知ってる人はだれも触らんかったでしょ
UOもやった事ないわ。
すごく面白かったw
ネトゲ黎明期の話って好きだなぁ~
リンゴの木の下のくだりクソワロタw
1は触ったことないけど2はC5までは名作だったんだ……
インタールードから馬が出てきてそこからおかしくなった^x^
当時はUOしてたけど尋常じゃなくマゾいって噂が広まってたせいかUO内で興味を持つ人は全然見なかったな
classic版出て欲しかったけど結局出してくれなかったな
黎明期ならではのワクワク感を感じさせてくれる良いインタビュー記事
今はプレイヤー側も開発側も型にはまりすぎてるよな
ネトゲに限らず大抵黎明期ってユーザーと運営のお互いから創意工夫が見られて面白いよね
リネージュは2から始めたニワカだけど、話せる島の波止場で船が来ると聞いてぼけーっと待ってたら本当に来て感動したの覚えてるわ
ワープでもなく10分位かけて本土に移動するという体験が新鮮で、今の時代からしたらポリゴン感丸出しの景色をずーっと眺めてたな
攻城戦とかワイバーンとか英雄とか魔剣とか大規模レイドとかMMOの浪漫が詰まってた
とは言えこういう黎明MMO話は確かに聞いてる分には面白いんだけど、何百時間と同じ狩場同じmobを延々と狩り続ける部分を都合よく無視してるからな
実際にもう一度あの時代に戻ってやりたいかと聞かれたら微妙
UOもやってたけどリネージュはシンプルでおもろかった。
強化(エンチャント)の沼を初めて体感したのもこれ。
レベルの上がりにくさはこの約30年のMMOの歴史の中でもトップだよね。
今では課金ゲームの代名詞になってしまってるのが悲しい。